
最初の星には一人の「王さま」が住んでいます。王さまにとって、人間はみんな「家来」。つまり、王さまにとってはただ自分の権威だけが大事、だから、その権威を傷つけたくない、つまり自分が傷つきたくないから「むりな命令」をしません。でも、そんな王さまの話には、王子さまは「あくび」してしまうのですが・・・。
本当は独りぼっちにすぎない、ちっぽけな人間が「王さま」だなんて・・・。あらためて、人間の「権威」や「権力」について考えさせられます。人はどんなにえばっていても、独りぼっちにすぎない、ちっぽけな人間なんだということは、そもそも権力の持っている無意味さと言えるかも知れません。でも、王子さまは、この王さまを批判せず、ただ、「本当にへんなものだなあ」とつぶやくだけ。孤独な姿に同情しているのでしょう。さみしいんだよ、そう言ってくれたら、王子さまは友だちになれたかも知れませんね。でも、権威や権力にこだわる限り、それは言えないおとな・・・。
この星巡りでは、王子さまの方がまるで「大人」で、おとなたちが子供じみています。と言うより、本当の意味での「大人」に出会えない。では、本当の「大人」って?サン=テグジュペリは、それを考えるよう、この星巡りを記したのではないでしょうか。
そもそも、サン=テグジュペリは、この本を、自分の友人であるレオン・ウエルトにささげると、献辞の中で書いていますが、それは「子どもたちにはすまないと思う」、でもレオン・ウエルトは「子どもの本でもなんでも、わかる人だから」だし、「そのおとなの人は、むかし、いちどは子どもだったのだから」と言っていました。そして、「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない」と。
この本の主題、テーマを言い換えれば、かつて子どもだったおとなが、子どもに帰ることではなく、本当の「大人」になることかも知れません。それを自分で見つけること、それが一番、大事なことですから。そして、それが、わたしたちがそれぞれ様々な愚かな権力に対処していく力となるでしょう。
ただ、現実の「権威」や「権力」は、この王さまと違って「むりな命令」を暴力を使って行うのです。おかしなことに、子供じみた「大人」は、それが偉いことだと思っているわけです。「むりな命令」をむりではないかのような顔をして・・・。最後に、出発してしまう王子さまを「大使」にするという「王さまは、どんなことも自分の手のうちにありそうに、いばった顔をしていました」、そう書かれています。「どんなことも自分の手のうちにありそうに・・・・」、その無意味さに、わたしたちはどれだけ気づいてるでしょうか?
レポート;大和牧師様

