
夕日の章は、「星の王子さま」の本の中で最も美しい章と言えるかもしれません。これまで読んで来たものとは違った雰囲気の文章が突然私たちの目の前に飛び込んで来て、何とも言い様の無い存在感と印象を残します。あくまで私個人の考えですが、この章は、へたに舞台で表現するのはとても難しい章なのかもしれない。なぜならここは、詩的な分章でこそ私たちはその情景を想像させられ、サンテクジュペリの文章と私たちの「想像」とが合わさって始めて一つのシーン、作品として成り立つからです。(と、私は思っています。)
少し話はずれますが、朗読の面白いところと難しいところは、朗読者自身の想像と聞いているお客さんの中での想像が、互いの頭の中で各々違った情景、物語のイメージがどれだけ豊かに生まれるかが問われる事だと思います。読み手側にも聞き手側にも、ある程度養われた自分なりの「世界」が有れば有る程、言葉にはし難い面白味と何通りもの舞台が繰り広げられます。
それと似ていて、書き手と読み手の中での想像が融合してはじめてワンシーンとして成り立つようなそんな美しさを持っているのは、この章がダントツなのではないかなあと思います。勿論「風景」についてもそうなのですが、王子様と飛行士とのやり取り。突然王子様が夕日の沈むところのことを持ち出した事によって、飛行士は王子様の事をまた一つ知る事になるわけですが、「何故44回も夕日を見なければならなかったのか」その理由を知る事は出来ません。この「知る事が出来ない」という事がまさに、私たちにも投げかけられた一つの大きな問いかけでもあるのです。
王子様が夕日を何度も見なければ行けなかったのは、おそらく薔薇との事があったからかもしれない。又は薔薇が王子様の星に降りて来る前の、ひとりぼっちで誰にも何の気兼ねも無い、邪魔をされない孤独な日々があったからかも知れない。こう私たちは想像することができますが、結局最後迄その具体的な理由を明かさないまま、王子様は私たちの前から姿を消してしまい、そこには無限の悲しみだけがぼんやりと残るのです。もしかしたら王子様は星に帰って、花とこんどは上手くいったのかもしれないし、それでもやっぱり夕日は何度も見てしまう様な日々は変わらなかったかもしれない。
何通りも考えられるこの「夕日」の理由。私たちがこの王子様のように夕日を見たくなる時というのはどういうときなのか?その事を考える余地を残す事によって、サンテクジュペリは私たちに、私たち自身の人生と向き合う切っ掛けをさり気なく作っているのかもしれません。
参考書;「星の王子さまをフランス語で読む」 加藤恭子 ちくま学芸文庫

